大判例

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大阪高等裁判所 平成6年(う)417号 判決 1995年6月14日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人岡田清人作成の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官西尾精太作成の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

論旨は要するに、被告人は原判示覚せい剤を所持したことはなく、またAと共謀もしていないのに、これを肯認して有罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、と主張する。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果もあわせて検討する。

一  原判決は、公訴事実のとおり、「被告人は、Aと共謀のうえ、営利の目的で、みだりに、平成五年一月二二日ころ、神戸市中央区磯上通五丁目一番一三号磯上公園住宅四〇八号のA方において、フェニルメチルアミノプロパン塩類を含有する覚せい剤結晶性粉末3.78グラムを所持した。」との事実を認定しているが、被告人は捜査公判を通じ右事実を否認しているうえ、被告人と本件覚せい剤所持を直接結び付ける証拠は、Aの原審証言だけであるから、その供述の信用性については慎重に検討する必要がある。

A証言の内容は、原判決が争点に対する判断の項で摘示しているとおりであり、被告人との共謀成立及び共同犯行の状況については相当具体的かつ詳細であって、一見その信用性を認めて差し支えないように思われるが、A証言には以下のとおり看過できない疑問点がある。

(一) まず、Aは、平成五年二月八日原判示の自宅を捜索され、ポリ袋入り覚せい剤一一袋を発見押収された際、警察官に対し、「売るために持っていた。二グラムを仕入れてきて、一一袋に小分けしたところです。」と説明している(司法警察員作成の現行犯人逮捕手続書)。この説明が後に原審証言のように、被告人がAの出した五万円で仕入れて来た本件覚せい剤(風袋込み約4.4グラム)の残りであると変遷するのであるが、捜索時という最も早い段階の供述であるうえ、その内容が「二グラムを仕入れた」、「一一袋に小分けしたところ」と実に迫真性のあることを考えると、これを原判決のように、「現実に差し押さえられた量のみを所持量として述べ」たというように簡単に評価することは相当でない。単独犯行とする右説明と共同犯行とする原審証言との矛盾は大きく、その証言全体の信用性を判断するうえで軽視することはできない。

(二) Aは、原審公判で、覚せい剤は一〇年位前競輪仲間のBに見せられたのが最初で、以来本件が二度目であると断言する。しかし、前記捜索の結果、覚せい剤一一袋のほかに両皿天秤や注射器などが押収されているのであり、この天秤を使用してA自身本件覚せい剤を小分けし、0.2グラムを一パケとするビニール袋を作ったと自認していること、被告人は昭和五九年に覚せい剤卸元のBからAを紹介され、それ以後Aから何度も覚せい剤を買っていたことを具体的に供述しており、Kの原審証言中にも、被告人がKから金を受け取ってAのところへ覚せい剤を買いに行ったとしていることなどに照らすと、Aが本件当時覚せい剤の密売人であったことは明らかであるといわねばならず、このことは、右A証言部分が信用できないというに止まらず、本件犯行についての証言全体の信用性にまで影響を及ぼすといわねばならない。

また、Aは、押収された注射器についても、三年以上前に糖尿病のCが置いて行ったと証言しているが、右注射器のうちポリ袋入りの一本(当庁平成六年押第一三三号符号12)は、その袋に記載された製造番号から考え、A証言の一年前に製造されたと認められるから、右証言は明らかに事実に反する。

(三) Aは、被告人が「覚せい剤五グラムを買って来るから五万円出してくれ、0.2グラムを一万円で売って儲けよう」と密売の話を持ちかけてきたので、儲けを折半する約束でこれに応じ、翌日被告人が持って来た本件覚せい剤を計量したうえ、0.2グラムを一袋とする一九袋に小分けし、何回かに分けて合計八袋を被告人に渡し、合計三万円位を受け取ったと証言している。この証言は、被告人との共謀や共同犯行についての供述に比べ、小分けした覚せい剤を渡した状況や八袋の密売による分配金が三万円に過ぎないことなど、密売状況については実に曖昧であって、全体として不自然の感を免れない。また、Aは覚せい剤の仕入れ代金を全額出し、天秤で計量して小分けし、ビニール袋を作って入れ、保管していたというのであって、いわば密売元であり、その手先に過ぎない被告人と比べ相当重い責任を負担しながら、儲けを折半にすることで了承したという点も直ちに理解できない。

(四) 更に、Aは、捜査段階で、当初は「D」なる者から本件覚せい剤を入手したと弁解していたところ、取調官から追及を受けた結果、被告人から入手したと供述を変更したが、その理由として、被告人を庇いたい気持ちであったが結局正直に話したと証言する。しかしながら、証拠上、Aに本件の全責任を被ってまで被告人を庇わねばならないような事情は全く見当たらず、右証言は容易に信用できない。むしろ、捜索時におけるAの前示説明に加え、自己と覚せい剤との結びつきについて公判廷でも虚偽を述べていることを考えると、Aは、覚せい剤一一袋の営利目的所持という重い刑責を一層軽減する目的で、自己の単独犯行であるのに他人が仕入れや密売という重要な行為を担当したことにすべく、共犯者として当初は架空の「D」の名を挙げたものの、厳しい追及を受けて覚せい剤前科の多い、身近な被告人の名を挙げたという可能性を否定できない。現にAは、覚せい剤の営利目的所持の事犯であるのに、執行猶予付きの判決を受けている。

(五) 以上のとおり、A証言には看過できない矛盾や変遷、明らかな虚偽、内容の不合理性があるうえ、Aには虚偽供述をして被告人を共犯者にする動機も認められるのであって、これら証拠価値を減殺する諸事情を考慮すると、A証言は、全体として信用性を認めることは困難であるといわねばならない。従って、A証言のうち虚偽供述部分を限定し、被告人と本件との関係についての証言の信用性には影響を及ぼさないとする原判決の説示には、容易に左袒できない。

二  次に、原判決がA証言を補強するとして挙げているK及びSの原審各証言について検討する。

(一)  Kは原審公判で、平成五年二月九日に服役を終えて一〇日か半月後、被告人が自宅に来訪し、「情報屋から聞いた、自分は警察に捕まるかも分からない、Eから頼まれてAに覚せい剤五グラムを五万円で売った」などと述べて相談に来た、と証言している。

しかしながら、A証言によれば、前示のとおり、被告人が一緒に小遣いを儲けようと持ちかけ、Aから五万円を受け取り、覚せい剤を入手して同人に引き渡したというのであるから、それが真実だとすると、被告人がKに対して「Aに五万円で売った」などと説明するのは理解しがたい。この点、被告人は、原審及び当審公判で、Kには、Fと名乗る情報屋が来て、「Aが被告人から覚せい剤を譲り受けたと供述したため、被告人に対する逮捕状が出ている、金を出せば握り潰してやる」旨持ちかけてきたと話したに過ぎないと供述しており、情報屋が事件を握り潰すなどという特異さはあるが、その供述内容に不合理な点は見当たらない。

なお、Kに相談したことについて、被告人は、Kからこれまで何度も無償で覚せい剤を貰って使用しているので、自分が逮捕されるとKに迷惑がかかると思って相談したと供述しており、その相談経緯及び内容に特に不自然さはない。また、K証言にEの名が出ている点については、被告人は、Eに頼まれたなどと話したことを強く否定しているうえ、当審公判で、右情報屋の話の際、Eに反感を持っていたKの方から、被告人がEから覚せい剤を買っていたのではないかと疑ってきた旨供述していることを考えると、K自身の思い込みという可能性も否定できない。

更に、Kは原審証言で、嘘をついてまで被告人を罪に陥れることはしないと述べる一方で、被告人が約束に反しKから覚せい剤を何回も譲り受けたことを警察官に供述したことを恨んでいると自認しており、被告人も原審公判で、Kが証人出廷の際護送車の中で被告人に罵声を浴びせたと供述していることなどを考えると、「Kは被告人を多少とも恨みに思い、被告人に関する事実を暴露した」とする原判決の説示は、直ちに肯認できない。

以上のとおり、K証言にも疑問点があり、A証言の信用性を補強するほどの価値があるとは考えられない。

(二)  Sは原審公判で、被告人が葺合警察署の留置場内で、「一対一なので認めるわけにはいかない」などと述べ、否認という言葉をよく使っていたと証言しているが、同証言には推測が交じっていて信用性そのものが疑わしいうえ、その内容が事実だとしても、被告人の右発言をもってA証言を補強する価値があるとは到底考えられない。

三  次に、原判決が唯一の自白証拠として挙示している被告人の弁解録取書について検討する。

(一)  関係証拠によると、被告人に対する本件捜査の経緯は次のとおりである。

1  平成五年二月二四日午後二時ころ、葺合警察署の警察官が被告人方を覚せい剤取締法違反で捜索した際、被告人に対し、尿検査とともに、Aに対する覚せい剤譲渡の件で事情聴取するため、同署への任意同行を求めた。

2  被告人は、右求めに応じて葺合警察署に来て、午後三時ころ尿の任意提出をしたが、警察官による簡易検査の結果は陽性であり、被告人自身も五日前に覚せい剤を使用していたから、その使用事実で有罪となり、二年半位の懲役を覚悟していた。

3  科学捜査研究所での尿鑑定が出るまでの間、被告人は取調官から覚せい剤使用の調書をとられたほか、Aへの譲渡についても質問された。これに対し被告人は、どうせ使用罪で二年半の懲役に行くことになるのなら、Aの件を認めても同じと思い、その容疑を認める話をしたという(被告人のこの供述を信用できないとして排斥できる証拠はない。)。

4  ところが、同日午後五時三五分ころ、右研究所から覚せい剤の反応が出なかったとの連絡があり、被告人にも知らされた。その直後の午後五時四〇分ころ、被告人は取調官から、原判示の日時場所においてAに覚せい剤4.4グラムを譲渡した旨の被疑事実を読み聞かされて、逮捕状を執行された。その五分後の五時四五分ころ、被告人は被疑事実が間違いない旨の記載のある弁解録取書に署名指印した。

5  被告人は、その二日後の二月二六日になされた検察官の弁解録取、次いで同日の裁判官の勾留質問において、いずれも逮捕事実は身に覚えがないと供述し、以後その供述を維持している。

(二)  被告人は、捜査公判を通じ、弁解録取書という書類があることを知らなかった、取調官からAの件で取り調べるが、国選弁護人をどうするかと聞かれ、その依頼のつもりで署名した、そのとき用紙は半分に折り曲げられていたと一貫して供述している。被告人の前科から考え、弁解録取書を知らなかったとする点は容易に信用できないとしても、Aへの譲渡事実を認める動機が前示のとおりであるとすると、尿から覚せい剤反応が出ず、覚せい剤使用事実で有罪を受ける心配がなくなったのに逮捕事実を認めるというのは理屈に合わないし、その二日後の検察官及び裁判官に対する供述がいずれも全面否認ということも考えると、弁解録取書に被疑事実を認める旨の記載があったことを認識していなかったとする被告人の弁解を排斥するのは困難である。弁解録取書を作成した警察官Gの原審証言によっても、右疑問は解消されない。

もともと弁解録取書は、逮捕時における被疑者の被疑事実に対する弁解を聞き、その結果を録取する書面であって、犯罪事実の立証のため被疑者を取り調べた結果作成される供述調書などとその目的を異にするものであり、また、その内容も弁解の結果を簡潔に記載するに止まるから、これを有罪立証の証拠として利用するとしても、その証拠価値を過大に評価することはできない。まして、本件弁解録取書は、読み聞けされた逮捕事実を間違いないとするだけで具体性に欠けるうえ、前示のとおり、被告人がその内容を十分認識していたといえるか疑問があるから、自白証拠であるとしても、これを有罪認定の証拠とするほどの価値は乏しいというべきである。

四  以上のとおり、被告人と本件犯行を直接結び付けるA証言は、その信用性に看過できない疑問点があり、また、その余の証拠も証拠価値が乏しく、結局原判決挙示の証拠によっても本件公訴事実を認めるに足りない。そうすると、本件公訴事実は証明不十分であるといわねばならず、これに反して被告人を有罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があり、破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、刑訴法三八二条、三九七条一項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に次のとおり判決する。

本件公訴事実は原判決記載の「罪となるべき事実」のとおりであるが、前示の理由により、犯罪の証明がないことに帰するので、刑訴法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 逢坂芳雄 裁判官 七沢章 裁判官 米山正明)

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